Archive for 2月, 2015

蝶野正洋

黒のカリスマ、蝶野正洋選手。
84年に新日本プロレスへ入門し、武藤敬司戦でデビュー。
アントニオ猪木の付き人を経て、ドイツ、米国での海外遠征を経験し、帰国後は武藤、橋本真也とともに闘魂三銃士として人気に。
91年には「G1 CLIMAX」の第1回大会で優勝。翌年のG1も連覇を果たすなど、G1を5度も制覇し、“夏男”の異名をとります。
94年からヒールに転進し、黒を基調としたコスチュームでプロレスファン以外にも広く知られる存在になりました。
顔面への蹴り、ショルダータックル、きめ技にはSTF、時々パイルドライバー等極めて少ない技のレパートリーでシンプルな試合運びながら、あれだけのインパクトを残せるのは凄いの一言です。
ヒールになる前の蝶野は、G1での活躍こそあったものの、武藤や橋本に比べて非常に地味な印象がありました。
本人が誰よりもその事を考えていて、このままでは新日に体よく使われるだけの中堅レスラーになってしまうとの危惧から、3度目のG1優勝を機にヒール転向。
ここから蝶野の真骨頂が発揮されます。
サングラスもトレードマークとなり、NWOJAPANを率いての活躍にはワクワクしました。
長年首の怪我に悩まされながらも、トップレスラーとしては損な役回りも難なくこなしていきました。
最近、激やせした姿がネット上でも話題となっており、病気を心配する声もあります。
養生して、元気な姿を見せて欲しいものです。

オカダカズチカ

プロレス学校、闘龍門の出身。
まだ26歳なので若手のトップレスラーという印象なのに、もうデビューして10年以上経つ。
IWGP王座になってからの貫録の凄さは、しっかりとしたキャリアを積んできた証だろうと思います。
ジャーマン・スープレックスの要領でレインメーカーというショートレンジのラリアットが彼の代名詞。
相手の腰に手を回し、左手で掴み取った相手の右腕を引っ張った勢いで体を向き合わせ、自身の右腕を相手の喉元に目掛けて叩き付ける。
この技のインパクトと、年齢に似合わない冷静沈着さが彼の最大の魅力だと思います。
当面、棚橋選手に変わってエースとして新日を引っ張っていくのでしょうか。
少し気になるのは、ライバルらしいライバルがいない事です。
長州と藤波、三銃士どおしや健介、第三世代など分かり易いライバルが居て、名勝負も盛り上がります。
他団体でも良いので同年代のスター候補がもう一人、育ってくれれば良いな、と思います。

サルマン・ハシミコフ

旧ソビエト連邦出身のサルマン・ハシミコフ。
1980年代の後半に新日本プロレスマットに上がり、クラッシャー・バンバン・ビガロ戦でデビューし、
ベイダーからIWGPベルトを奪還して一気に新日本プロレス外国人としてのトップレスラーとなりました。
活躍した期間はわずかな間でしたが、アマレスの世界選手権で3連覇を成し遂げたバックボーンから繰り出される迫力の水車落としは、フィニッシュ技として説得力満点でした。
スコット・ノートンとのシングルが観てみたかったです。

北尾光司

大相撲を廃業後、1989年に東京ドームでのクラッシャー・バンバン・ビガロ戦で破格の扱いでのプロレスデビューをした北尾光司。
ビガロは「箒とでも試合ができる」と自称する程プロレスがうまい選手ですが、それでも噛み合わず、パフォーマンス重視の北尾の試合はボロクソの評価を受けます。
その後も大相撲時代同様に次々と問題をおこし、試合も不評を買うばかりでついには新日本は契約を解除。
SWSに移りましたが、そこでも同じ大相撲出身のジョン・テンタにマイクアピールで「八百長野郎」発言をし、解雇されます。
Uインターに参戦し、高田延彦にブック破りのハイキックKOを喰らい、総合でもパッとせず、結局その恵まれた身体を活かす事ができなかった惜しい選手でした。

冬木弘道

1979年に国際プロレスに入団し、国際プロレスの崩壊後は全日本プロレスに移籍。
後年のインディーズのイメージが強いですが、若い頃は実に王道の路線を歩いていた冬木選手。
奇声を発しながら放つ地団駄ラリアート位しか印象に残っていないのですが、きっちり相手の技を受けてたち、負けブックでも相手の良さを引き出す試合運びは素晴らしかったです。
リング上の理不尽キャラとは裏腹に面倒見のよい性格であり、リング外ではプロレス界の常識人としての一面も持っており、彼を慕う人間は多かったそうです。
予定されていた橋本との電流爆破マッチが行われる事なく、2003年に亡くなりました。
合掌。

長州力

言わずと知れた革命戦士、長州力。
レスリングで韓国代表としてミュンヘンオリンピックに出場、というバックボーンを持ちながら、なかなかプロレス入りしてから人気の出なかった長州。
それが80年代前半に、藤波に噛みつく事によって一気にブレークしました。
長髪を振り乱してのリキラリアート、ひねりの効いたバックドロップ、シンプルながら凄味が伝わるストンピング、そして腰をじっくりと落とすサソリ固め。
長州の技一つ一つに、武骨ながらパワフルな華を感じます。

藤田ミノル

藤田ミノルは、掴みどころの無い魅力を感じさせるレスラーです。
大日本プロレス、みちのくプロレスを経て2002年に新日本マットに上がった藤田選手。
弱さを売り(?)に、佐々木健介に「5分で決着がつかなかったら俺の勝ち」というルールを飲ませて戦い、1分程度で健介のラリアットに沈みました。
ところがその後、ZERO1-MAXに上がりだすと見事な急成長ぶり。
佐々木健介をして、その成長を認めたと言います。
その後はタッグが中心ながらも、チャンピオンベルトを巻くようにもなり、新日に居た頃とは打って変わって活躍する様になります。
技の名前も「サスケだまし」などユニークなものがあり、ギャグ路線でも実力派という印象が強くある選手です。

天龍源一郎

大相撲からプロレス入りし、まずは全日本プロレスマットを沸かせた天龍。
鶴田とのタッグでの活躍、シングルで唯一ジャイアント馬場・アントニオ猪木の二人からフォールを奪った、などの素晴らしい実績を持っています。
逆水平一つで、会場を沸かせる事ができる選手です。
ラリアットやパワーボムの迫力も凄い。
また、受けて受けて、相手の良さを引き出すうまさ。
1990年だったか、WWF・新日本・全日本の3団体が合同開催した「日米レスリングサミット」では、ランディ・サベージを相手にし、王道の全日イズムを崩さずに、サベージのアメリカン・スタイルと見事に融合させました。
サベージの女性マネージャーによる暴挙というのも含めて、丸ごと活かす事ができたのも、天龍の凄さです。
60歳を超えた今でもメインイベンター級の活躍をする息の長さは、本当に素晴らしいの一言です。

ヒロ斎藤

1978年の新日本入団から、あまり目立ちはしませんが、引き立て役のうまさ、少しコミカルながらヒールとしての存在感を見せてくれる選手です。
ヒロ斎藤ほど、受けのうまい選手は少ないのではないでしょうか。
全日本マットに上がっていた頃、ジャイアント馬場をして、高い評価をしていた様です。
ヒロ斎藤の技と言えば、まずセントーンが浮かんできますが、実はジャーマンスープレックスも得意技。ブリッジが効いていて、非常に美しいフォームで投げます。
「ヒロがあと5cm身長が高かったら、プロレスの歴史は変わっていた」と言われる程のセンスの持ち主。
トップロープからのダイビングセントーンで、佐々木健介からピンフォールを奪った時も、控えめにしていたヒロ斎藤の人の好さが好きです。
http://www.dafhashovua.org/

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