藤田和之

アマレス上がりで新日本プロレスに入門した藤田和之。
新日に在籍していた藤田は、前座扱いでありながらもドン・フライやキモとのシングルが組まれたり、格闘路線の試合ではお客さんもヒートアップしていました。
その後新日を退団すると、PRIDEで当時「霊長類最強の男」と言われたマークケアーに勝利し、一気にスターダムにのし上がります。
それにしてもガチ系に行って、すぐにあそこまでの活躍をするとは・・・
プロレスの試合での藤田と言えば、ボディスラム1つでマットの衝撃を伝えるのが凄いと思っていました。
前田日明もそうでしたが、格闘路線に向かう選手は前座でも壮絶な試合をします。
今度は誰と闘うのか、その対戦カードだけでワクワクしてしまう選手です。

天山広吉

1990年代前半にデビューした天山広吉。
凱旋帰国するとすぐに当時の新日トップレスラーをタッグ・シングル問わずなで斬りにし、新日の期待を背負っていました。
本体から離れて蝶野との結託、ヒールとして輝いていましたが、徐々に失速していきその後はしばらく小島との「テンコジタッグ」がメインとなりました。
ところが2003年頃からまた天山推しが始まり、G1二連覇する等の活躍を見せます。
ただ長年の疲労の蓄積からか怪我をしがちになり、リーダーシップをとっていたGBHからは追放され、その後は飯塚との友情タッグ⇒飯塚の裏切りによる抗争、とファンの同情を買うタイプのアングルにシフトしていきます。

矢野通

矢野通選手と言えば、上田馬之助ばりの金髪スタイルとラフ殺法が売りのヒールレスラーですが、上田馬之助や後藤達俊同様に人の良さが随所に見られ、憎めないヒールとして人気があります。
デビューから数年でヒールとなった矢野選手は、その後GBH入りし真壁とのタッグでIWGPのチャンピオンにもなりました。
印象に残っている矢野選手の試合と言えば、後藤達俊選手とのG1クライマックス公式戦では、当時正規軍入りしていた後藤選手をヒールとして挑発する様な試合をしていた事です。
矢野選手がヒールとして活躍する様になった土台は、後藤達俊選手のみっちり指導にあった様なので、一見すると目立たないカードでしたが、感慨深いものがありました。
その風貌はヒールとしての貫録充分。
サマになっています。
どうしてもタッグマッチでのインパクトが大きいですが、シングルでもタイトル戦線に絡んで欲しい選手です。
今の新日のアングルではなかなか実現しないのでしょうが・・・。

武藤敬司

新日本プロレスで蝶野、橋本と共に「闘魂三銃士」として活躍し、その後全日本に移籍後は社長業も務めた武藤。
アメリカで忍者のペイントをし、毒霧を吐く「グレートムタ」としてブレイクし、以後日本マットに置いても素顔とムタを使い分ける器用さは、抜群です。
身体能力の高さで、ムーンサルトプレスやスペースローリングエルボーなど派手なパフォーマンス系の技を多用していた事から、純プロレスを展開する武藤が、強さの面を見せたのがUWFインターとの対抗戦における高田延彦戦でした。
ドラゴンスクリューから足四の字という古典的な技で勝利し、ある意味この試合がUインターの終焉となったのです。
元々柔道のオリンピック強化選手にまでなっていて、寝技の強さでは前田日明でさえ一目置いていた様なので、格闘路線でも強い選手ながら、一途に純プロレスを見せ続けるところに大きな魅力を感じます。

蝶野正洋

黒のカリスマ、蝶野正洋選手。
84年に新日本プロレスへ入門し、武藤敬司戦でデビュー。
アントニオ猪木の付き人を経て、ドイツ、米国での海外遠征を経験し、帰国後は武藤、橋本真也とともに闘魂三銃士として人気に。
91年には「G1 CLIMAX」の第1回大会で優勝。翌年のG1も連覇を果たすなど、G1を5度も制覇し、“夏男”の異名をとります。
94年からヒールに転進し、黒を基調としたコスチュームでプロレスファン以外にも広く知られる存在になりました。
顔面への蹴り、ショルダータックル、きめ技にはSTF、時々パイルドライバー等極めて少ない技のレパートリーでシンプルな試合運びながら、あれだけのインパクトを残せるのは凄いの一言です。
ヒールになる前の蝶野は、G1での活躍こそあったものの、武藤や橋本に比べて非常に地味な印象がありました。
本人が誰よりもその事を考えていて、このままでは新日に体よく使われるだけの中堅レスラーになってしまうとの危惧から、3度目のG1優勝を機にヒール転向。
ここから蝶野の真骨頂が発揮されます。
サングラスもトレードマークとなり、NWOJAPANを率いての活躍にはワクワクしました。
長年首の怪我に悩まされながらも、トップレスラーとしては損な役回りも難なくこなしていきました。
最近、激やせした姿がネット上でも話題となっており、病気を心配する声もあります。
養生して、元気な姿を見せて欲しいものです。

オカダカズチカ

プロレス学校、闘龍門の出身。
まだ26歳なので若手のトップレスラーという印象なのに、もうデビューして10年以上経つ。
IWGP王座になってからの貫録の凄さは、しっかりとしたキャリアを積んできた証だろうと思います。
ジャーマン・スープレックスの要領でレインメーカーというショートレンジのラリアットが彼の代名詞。
相手の腰に手を回し、左手で掴み取った相手の右腕を引っ張った勢いで体を向き合わせ、自身の右腕を相手の喉元に目掛けて叩き付ける。
この技のインパクトと、年齢に似合わない冷静沈着さが彼の最大の魅力だと思います。
当面、棚橋選手に変わってエースとして新日を引っ張っていくのでしょうか。
少し気になるのは、ライバルらしいライバルがいない事です。
長州と藤波、三銃士どおしや健介、第三世代など分かり易いライバルが居て、名勝負も盛り上がります。
他団体でも良いので同年代のスター候補がもう一人、育ってくれれば良いな、と思います。

サルマン・ハシミコフ

旧ソビエト連邦出身のサルマン・ハシミコフ。
1980年代の後半に新日本プロレスマットに上がり、クラッシャー・バンバン・ビガロ戦でデビューし、
ベイダーからIWGPベルトを奪還して一気に新日本プロレス外国人としてのトップレスラーとなりました。
活躍した期間はわずかな間でしたが、アマレスの世界選手権で3連覇を成し遂げたバックボーンから繰り出される迫力の水車落としは、フィニッシュ技として説得力満点でした。
スコット・ノートンとのシングルが観てみたかったです。

北尾光司

大相撲を廃業後、1989年に東京ドームでのクラッシャー・バンバン・ビガロ戦で破格の扱いでのプロレスデビューをした北尾光司。
ビガロは「箒とでも試合ができる」と自称する程プロレスがうまい選手ですが、それでも噛み合わず、パフォーマンス重視の北尾の試合はボロクソの評価を受けます。
その後も大相撲時代同様に次々と問題をおこし、試合も不評を買うばかりでついには新日本は契約を解除。
SWSに移りましたが、そこでも同じ大相撲出身のジョン・テンタにマイクアピールで「八百長野郎」発言をし、解雇されます。
Uインターに参戦し、高田延彦にブック破りのハイキックKOを喰らい、総合でもパッとせず、結局その恵まれた身体を活かす事ができなかった惜しい選手でした。

冬木弘道

1979年に国際プロレスに入団し、国際プロレスの崩壊後は全日本プロレスに移籍。
後年のインディーズのイメージが強いですが、若い頃は実に王道の路線を歩いていた冬木選手。
奇声を発しながら放つ地団駄ラリアート位しか印象に残っていないのですが、きっちり相手の技を受けてたち、負けブックでも相手の良さを引き出す試合運びは素晴らしかったです。
リング上の理不尽キャラとは裏腹に面倒見のよい性格であり、リング外ではプロレス界の常識人としての一面も持っており、彼を慕う人間は多かったそうです。
予定されていた橋本との電流爆破マッチが行われる事なく、2003年に亡くなりました。
合掌。

長州力

言わずと知れた革命戦士、長州力。
レスリングで韓国代表としてミュンヘンオリンピックに出場、というバックボーンを持ちながら、なかなかプロレス入りしてから人気の出なかった長州。
それが80年代前半に、藤波に噛みつく事によって一気にブレークしました。
長髪を振り乱してのリキラリアート、ひねりの効いたバックドロップ、シンプルながら凄味が伝わるストンピング、そして腰をじっくりと落とすサソリ固め。
長州の技一つ一つに、武骨ながらパワフルな華を感じます。